岩殿山 (いわどのさん)
舒明天皇の時代に学問行者が修験道場として開基し、その後、嘉祥元年(848)に仁明天皇の命を受けた比叡山延暦寺の座主慈覚大師が再興した「岩殿寺(がんでんじ)」の天台修験道場として栄えました。
舒明天皇の時代に学問行者が修験道場として開基し、その後、嘉祥元年(848)に仁明天皇の命を受けた比叡山延暦寺の座主慈覚大師が再興した「岩殿寺(がんでんじ)」の天台修験道場として栄えました。
標高1,252m、長野自然百選の一つで、古くより月の名所として多くの歌人に愛されてきました。「姨捨の月」や「姨捨伝説」の舞台となった姨捨山は、冠着山の別名です。
馬の守護神である馬頭観世音を本尊としている寺で、入口には仁王門、境内には馬と牛の像があります。
坂北にある曹洞宗碩水寺の末寺。本堂の天井には佐藤雪洞作の龍の絵が描かれています。
元禄元年(1688)僧淵竜が開いた、曹洞宗碩水寺の末寺。信濃三十三番観音札所の第十七番にあたる古刹で、十一面観音を本尊としています。
天明2年と文化10年の火災にあい、寺の由緒は確かでないが、裏山に覚応阿闍梨法印の塔があったことから、もとは真言宗の寺であったことが知られます。
舒明天皇の御代(629~641)役の行者の弟子学文行者が修験道場として開山し、およそ百年の後嘉祥元年(848)に天台宗比叡山の座主慈覚大師円仁が仁明天皇の勅命を奉じ、寺領三百町を賜り、寺を開基。
大日堂は修行道場岩殿寺の塔頭(たっちゅう)で中願寺の堂として創建され、仁王門とともに江戸時代に建立されました。
寺の創建は不詳ですが、平安初期信濃国の寺の内5つを国分寺に準ずる定額寺として指定したものの1つであると言われています。
信濃三十三番札所の第三番札所です。本尊は三面六臂の馬頭観音で、源義経の家来、佐藤継信が奥州へ逃げのびる際に急死した愛馬の供養を村人に託したのがはじまりと言われています。