ちくほくのひとVol.11田村清香さん

もう都会での暮らしは考えられない。
筑北村で“本来の生きる力”を取り戻したい

地域で積極的に活動しているという田村さんのご自宅でお話を伺ったあと、写真撮影のために田んぼへ向かった。
「あそこが陶芸教室です」と田んぼの向こうを指さし、「いろいろやっていますが、自分がやりたくて始めたのは陶芸くらいです」と笑う。東条にある江間廣先生の陶芸教室は、「省力化・簡略化せず、できるだけ古来の方法で取り組む」を信条に、原初的な方法で焼き物づくりをしている。「窯の神様は女性だから、女性には任せないという窯も多いそうですが、窯焚きも任せていただいて、当番についたこともあります。あの緊張感、火との対峙がたまらない」と言う。

帰り道、横を通ったハウスの中から「お寄りなさい」と声がした。ぶどうの蔓が広がるハウスの中にいたのは、2人のおばあちゃん。突然押しかけた我々を笑顔で迎え入れ、お茶を用意してくれた。孫を扱うように赤ちゃんをあやし、どんどん食べなさいとお茶菓子を差し出してくれる姿に、筑北村の人々の“生の温かさ”に触れた、そんな気がした。
千葉から筑北村に移住し、農業をしながら結婚・出産・子育てをしている田村さんを引きつけたのは、この温かさだろうか? なぜ筑北村を選び、ここでの生活に何を求めているのか、お聞きした。

[ 2018年4月24日更新 ]


地域おこし協力隊を経て、筑北村に定住

地域おこし協力隊に応募したのは、農業がやりたかったからです。筑北村には祖母の家があり、子どものころは長期休みのたびに来ていました。俗にいう孫ターンですね。今は空き屋だった祖母の家に住んでいます。
筑北村に来る前は、千葉に住み、特許庁に勤めていました。移住を決めた根本的なきっかけとなったのは東日本大震災です。都内は何もなくなってしまったとき、筑北村の方がお米を大量に送ってくれて。これからは自分で食べ物を作れるようにならないとダメだと思いました。元々食に興味がありましたし、そこに畑と家があるなら、もう行くしかないだろうと。

両親に話したのは、引っ越しをするひと月くらい前でした。「筑北村に引っ越すから自動車免許を取ってくるね」と言って合宿に出かけ、戻ってすぐ「行ってくるね」という感じで。当時、祖母が施設に入っていたので、私が筑北村に住むことで、祖母のところに頻繁に顔を出せるようになるというメリットもあり、家族の反対はありませんでした。
松本に支店のある派遣会社に登録してあったので何とかなるだろうと、仕事も決めないまま来ました。そんな中で筑北村の地域おこし協力隊員募集を知って応募し、3年間活動しました。
正直なところ、農業で食べていける気はまったくしなかったです。それでも定住を決めたのは、一緒にやろうと声をかけてくださった、雑穀ファーム嶋田さんの存在が大きかったですね。

夫は山の上。陣痛のさなか自分で運転して病院へ

長野県の地域おこし協力隊員は交流会が比較的頻繁にあって、小谷村の協力隊員だった主人と知り合い、結婚しました。登山ガイドの夫にとって筑北村は交通の便が良く各地の山に行きやすいことと、私の祖母の家があったことから、筑北村で生活することにしました。

妊娠したとき、出産場所にはすごく悩みましたね。病院まで車で30~40分かかるので、里帰り出産の方が楽なことは分かっていましたが、猫を飼っていて。夫はガイドに出かけると3、4日家を空けるので、こちらで産むことに決めました。
予定日より1か月半も早く生まれたので、その時、夫は山の上。陣痛のさなか、自分で運転して病院へ行きました。早産だったため子どもはしばらく入院していましたが、出産後1か月は運転NGなので通うのが大変でした。

今は、生後6か月。出産後に千葉から来て手伝ってくれた母は帰りましたが、村の子育て支援センターで毎月ベビーマッサージを開催していて、助産師さんに相談することもできます。施設って、なかなかチャンスがないと行きにくいですが、ベビーマッサージのおかげで通いやすいです。毎月17~20人程度の赤ちゃんが集まりますよ。手厚くサポートしてくれるし、とても助かっています。

目下の目標は農業と子育ての両立。自然に即して生きる感覚を取り戻したい

今は、自然農法で作る米と、一般的な方法で作る酒米を中心に農業をしています。自然農法は難しいけれど、自然に即しているのが生きる本質だと思いますし、本来の生きる力を取り戻せたらという思いで取り組んでいます。
農業経験はなかったので、約1年間、安曇野の自然農塾に通いました。実際に始めてみると全然違って、その土地に合ったやり方を探らなきゃいけないんだと実感。4~5年経ちますが、まだダメですね。
今後は子育てと農業の両立が目標。夫は家を空けることが多いですし、子育ても農業も1人でできるようになりたいです。子どもにも、自然とともに生きてほしい。一緒に畑をやりたいです。

地域で積極的に活動しているというか、頼まれる理由があるはずだと考えて、誘われたらやって……気づいたらこうなっていました(笑)。
猟友会も、肉ができるまでの過程を大事にしたいと思って鹿の解体の見学を希望したんです。そのまま誘われて、狩猟免許を取りました。人間の都合で狩った命はきちんと食べるべきと考えているので、自分で解体もします。妊娠中に山の中で解体したこともありました(笑)。
猟銃のコツはまだつかめないですね。捕獲できる可能性の高い位置は一般的にベテランが担当しますが、村のハンターの先輩方は新人にもその位置につかせてくれて、目が合うくらいの距離に鹿が来たことがあります。引き金を引こうとしたら安全装置がロックされていて撃ち逃してしまいました。
都会の生活に慣れてしまって、感覚が鈍っているんだと思います。徐々に感覚を取り戻していきたいです。

観光地ではない。だからこそ、暮らしやすい筑北村

筑北村の暮らしで特に楽しんでいるのは、田んぼと畑です。外で働いていることが楽しい。都会とは空気のにおいが違って、気持ち良いんです。周りにあるものを活かして暮らしている感じ。もう都会での暮らしは考えられないですね。
筑北村で生活を始めて驚いたのは、農産物の加工所がたくさんあって、村民が自由に使えること。私も餅、味噌、油絞りなどに使っています。加工できる施設が当たり前にあって、しかも自由に使えるというのはすごいことです。

筑北村の自慢? ひと言でいうと「観光地ではないこと」ですかね。それでいて、すごい山奥でもない。そこが良いんです。
安曇野に憧れる人も多いですよね。とてもすてきな地域だと思いますが、やっぱり観光地です。筑北村は生活がベースになった景観づくりで、住むのに適した場所。交通の便もとてもいいですし、気軽にアウトドアスポットに行かれるのも良いです。

子どものころ、おばあちゃんの背中を見て「農家になりたい」と文集に書いていました。そんなことすっかり忘れていましたが、いまやっています。だからきっと、息子がどんな道を選んでも、いま自分がしていることは無駄にはならない、そう思います。筑北村は暮らしの中の可能性を広げてくれる場所です。

田村清香(37歳)

出身:千葉県 職業:農業 地域:本城地域
元地域おこし協力隊。3年間の活動を経て筑北村に定住。2017年に出産し、登山ガイドをするご主人と家族3人、猫2匹と暮らしている。雑穀ファーム、消防団ラッパ隊、猟友会、公民館報編集委員など、地域のグループや活動に積極的に参加し、1人多役で活躍している。

ちくほく・ほくほく体験

お彼岸のおはぎなど、しょっちゅうおすそ分けしていただいています。家に帰ったら玄関にたくさんの野菜が置いてあることも。“村の親”のような制度があって、面倒を見て下さるんです。本当に温かいし、うれしいです。

お気に入りちくほくスポット

うちの田んぼですね。雑穀ファームの農地に使っている細田の景色もいいです、山があって、段々畑があって、川が流れていて。それに、登り窯も好きです。

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