ちくほくのひとVol.25島田頼信さん

エネルギッシュな時代を過ごした海外生活を経て気づく、
山の中の気ままな暮らし

「20代前半は東南アジアを中心に16か国、後半は東アフリカを中心に48か国、30代前半はアメリカを中心に56か国で生活してきました」
家の前に広がる広々とした田んぼと、その向こうにそびえる山々。“田舎の山村”というのどかな風景を眺めながら聞こえてくるとは思えないような話が続く。
「私は頭がよいわけでも、体力があるわけでも、経済的に豊かなわけでもない普通の人間ですが、手を伸ばせば誰でもできることを、チャンスがあればやってきました。アメリカのコネチカット州、新潟県、群馬県、長野県ではバンジージャンプ。アフリカや日本では3千~5千メートル級の登山。グアムではスキューバダイビング。フロリダ、グアム、シカゴではスカイダイビング。ホノルルなどのマラソン大会や、野尻湖一周の遠泳大会にも参加しました。66歳で引退しましたが軽飛行機の操縦もしていました」

とても70代後半とは思えない、溌溂とした口ぶりで話す島田さんは、筑北村唯一のコインランドリーを経営するほか、農業やフランス鴨の飼育など、現在もパワフルに活動している。これほど多くの海外生活を経験しながら筑北村に戻った経緯や、戻ったからこそ感じる筑北村の姿についてお聞きした。

[ 2021年11月12日更新 ]


これぞ青春! エネルギッシュに過ごした海外生活

訪れた国の中で強く印象に残っているのはラオスです。当時(1968年)のラオスはベトナム戦争の最中。私は首都ヴィエンチャンに2年いました。非常に狭いラオス人の社会に、タイ、ベトナム、カンボジア、中国、韓国、日本、欧米などから来た人々……人種のるつぼでした。新聞、電車、電話、テレビ、クーラーなどはなく、寺院や僧侶が多い敬虔な仏教徒の国。灼熱の太陽、雨季と乾季の2つの季節、埃っぽい街路樹には亜熱帯特有の花が咲き乱れる。そういう雑多な環境が、私には居心地がよかったです。20代前半のエネルギー溢れるときで、朝起きたとき「今日もやるぞ!」というエネルギーがうんとあった。毎日を生き生きと過ごしていました。“青春”とは、あのときをいうのではないかと思います。

青年海外協力隊では、ラオスとケニアに体育という職種で派遣されました。ラオスでは文部省体育局での活動で、中学校の体育の授業、夏休みは先生への体育指導、ラオス柔道選手権大会の主審、ビルマ(現ミャンマー)で開催された東南アジア半島大会に参加したラオス陸上チームの監督など、バラエティに富んだものでした。
ケニアでは、陸軍の下部組織であるナショナルユースサービスでのスポーツ指導でした。70ほどある部族から来た10代後半の青少年たちに、軍に入る前の言語の統一や規則、集団生活などを教えながら軍隊での基本的な訓練を行うセンターで、私は約20人の指導助手に指導するのが主な仕事でした。

突然、意識の中に入ってきた思いに導かれて海外へ

私の幼少期は、敗戦後の落ち着きのない社会環境の中、人ばかり多くて、人心も世の中も貧乏な時代だったと思います。小学校は4年まで仁熊分校に、5・6年は坂北小学校に通いました。
中学卒業後、県立高校を受験したのですが失敗。第2希望の定時制に通いました。翌年受験し直しましたが、2年連続で合格することができず、1年遅れで私立高校に通いました。中学の同級生が先輩という状況。心が定まらず、ふてくされたように過ごした4年間の高校生活だったように思います。

大学は、それまで医学部メインだった学校の学校案内に書かれていた「これからは病気の治療だけでなく予防が大事」という体育学部健康教育学科に興味を持ち、選びました。東京に着いたら、坂北でのことは遠い過去のようになり、突然「英語を話せるようになって、船で太平洋を越え、バスでアメリカ大陸を一周し、飛行機で帰国する旅がしたい」という思いが意識の中に入ってきました。朝はラジオで英会話を勉強してから牛乳配達をし、大学の勉強は授業だけ。それ以外は自炊と英語とアメリカ行きの計画や準備中心の生活をし、大学4年生の夏休みに実現しました。

卒業後、何をしようかと考えているときに青年海外協力隊のポスターを見て応募。6月ごろ試験を受けて合格し、訓練終了後、12月にラオスに行き2年間滞在しました。
任期後は1か月旅行をし、26歳で日本に戻りました。でもなじめない。言葉や生活習慣が違う異文化生活の面白みが忘れられず、再度協力隊に挑戦し、今度は東アフリカのケニアに行きました。赤道から南へ70キロの広大なサバンナの中、四季はなく、1年中25~35度。世界中で一番住むのに快適な環境ではないかと思います。アフリカでの生活も3年目に入る頃になると、日本の生活環境や人間関係がわずらわしく思えて、日本が遠い別の世界に感じました。

帰りたくないけど、この後の自分の人生、どうやって生きていこうかと考えていたとき、これまでの海外生活、英語、体育を土台に「アメリカで大学院に行こう」という思いがまたポーンと意識の中に入ってきました。帰国前にアメリカに立ち寄り、大学を見学して回りましたね。1975年ごろはまだ海外留学が一般的ではなかったし、私自身、方法も内容もまったくわかりませんでしたが、「やるからにはどんなことがあっても卒業しよう!」と決意して挑みました。
大学入試のための英語科で英語力を磨いてから、カンサス州にある大学院に入学。体育系自然科学を専攻しました。授業は少人数で行うディスカッション形式が多く緊張感のあるものだったので、準備と宿題とでハードな日々でした。
卒業後は努力した自分へのプレゼントとして南米を旅行し、各国を回ってから日本に帰りました。

実家に帰らねばという思いと、定まらない心

農家の1人息子なので、いつかは実家に帰って百姓をしなければという思いが常にありました。父は小学校の教頭や児童相談所の所長などの仕事をしつつ農業もしていましたが、私の大学院在学中に亡くなり、その後は母が1人でやっていました。
帰国はしたものの、長野に帰っても職などありません。帰るのがばからしく思え、東京を中心に2年ほどアルバイトで食いつないでいました。そのときに職場で出会った現在の女房と結婚。義父に「いつか帰らなければいけないなら、結婚を機に帰ったらどうか」とアドバイスをいただき、仕事はありませんでしたが坂北に戻りました。

国から派遣され海外で大きな仕事をしてきた、アメリカの大学院を卒業した、というプライドがありました。しかし日本は実績を見てくれる社会ではありません。青年海外協力隊での経験も大学院卒業資格も役に立ちませんでした。それでも安定した収入を得なければ生活していけません。36歳という年齢ながら、なんとか私立高校の体育教師として就職が決まり、職員室で与えられた机を前にして椅子に座ったとき、「やっと日本社会の一員になれた、これでどうにか生活していける」という感慨がしみじみとありましたね。

48歳ごろから定年後のことを本格的に考え始め、退職後は計画を基にいくつかやってみたのですがうまくいきませんでした。竹場にコイン精米機を1台設置したらお客さまが来てくれて、2台目を入れ、玄米機を入れ、コインランドリーを入れ……。5、6年掛かって現在のような、稲作とフランス鴨の飼育、コイン精米、コインランドリーという形になりました。
毎日清掃に行く竹場では、積極的に声をかけて、農業についてもっと知りたい、仲間が欲しいという人がいれば嶋田幸夫さんを紹介します。そこでお互いの思惑が一致して一緒にやっていけば、本人同士だけでなく地域全体もよくなると思うし、やがては外国人も定住するような時代が来るのではないかと思っています。

筑北村で待っていたのは、神羅万象の中での生活

一番エネルギーのある年代を海外で生活してきて、日本に足が向かず、帰国しても坂北に足が向かず。結婚でやっと実家に落ち着いてから約40年、ここに軸足を置いて生活してきました。家を改築したり、田畑を整地したり。少しずつ、自分の気に入るように手を入れているうちに、自分にとって、大自然の中に身を置いているような、山と山の中での気ままな暮らしができる環境になりました。
筑北村は、人類がこの世に現れるよりもずっと前からあった山や川、それを包んでいる木や草の緑から出る酸素、それに太陽や適度な雨、風、雪などの大気の中、神羅万象の中での気ままな生活だと、海外から戻って改めて感じる今日このごろです。

以前は毎年12月に、1年間の自分自身へのご褒美として海外に出かけていました。ヨーロッパまで往復8万円の格安チケットで行き、現地で安宿を見つけたり駅で寝たりするような旅なので、1人で行きます。
今はコロナ禍で不可能ですが、あと4~5年もすれば、またマスクなしでどこへでも行ける時代が来ると思います。そのときは、まだ行っていない国や場所に行きたいです。とはいえ、若い頃ほどの思いはなくなってきました。コロナが収束したときに、自分の思いはどうなっているかな?

島田頼信さん(77歳)

出身:坂北地域
職業:鴨農家・コインランドリー経営 他
地域:坂北地域
青年海外協力隊やアメリカの大学院卒業等、海外経験が豊富。今まで訪れた国数はなんと86か国! 帰国後は体育教師として定年まで勤めたのち、筑北村で鴨の飼育やコインランドリー等を自営。バンジージャンプ、登山、マラソンなどにも活動的に取り組んでいる。

ちくほく・ほくほく体験

12月に入って農作業や鴨の出荷がほぼ終わり、27日からの数日間、1年を振り返りながら過ごす日々になんか心が温まります。いつの頃からか、31日は年越し料理をおいしくいただいた後、20時頃から2時間踏み台昇降をやるようになって。汗びっしょりになって、井戸水を薪で沸かして入る風呂……私にとっては最高のときです。できることなら長く続けたいと思っています。

お気に入りちくほくスポット

家の西側の庭から見える、田んぼの向こう側に広がる山々です。月夜も美しいですよ。今年は特に、蛍が乱舞する庭先の田んぼ道に身を置くことができて、大変幸せな時間を過ごせました。

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