ちくほくのひとVol.22久保村 吉司コさん
嘉輝さん

オープン当初からのお客さまがいまも通う、50周年を迎えた筑北村のガソリンスタンド

麻績インターで高速道路を下り、筑北村役場方面へ国道403号線を進む。『道の駅さかきた』から南へ300メートルほど進んだところにあるガソリンスタンド。それが今回の取材場所だ。
『久保村石油』は、2020年に50周年を迎えた。7月に開催した記念イベントのために用意したのだろうか、見せていただいた写真は過去と現在が比較できるようセットになっていた。50年経ち、使い続けてきた建物は古くなった。幼子だった嘉輝さんは、プロの格闘家としても活躍するたくましい大人になった。そんな変化もあるなかで、変わらないものもある。背景に広がる筑北村の自然や、オープン当初から通ってくれるお客さまだ。
「当初は600リットルしか入らない地上タンクだったんですよ。すぐに不足するので、地下タンクを埋設しました」と歴史を振り返る。
お客さまの車が入ってくるとすぐさま飛び出しテキパキと仕事をこなす吉司コさんはとてもパワフルに見える。しかし、お話を伺っていると、おだやかな口調と優しい気遣い。とても上品な女性でもある。 同じ場所で50年間筑北村を見てきた久保村さんからは、どんなふうに見えているのだろうか。

[ 2021年1月14日更新 ]


喜びはお客さまとの何気ない会話。そこに感じる地域性

吉司コさん:
私の父はコウカン(日本鋼管株式会社 生坂事業所)の現場事務所で石炭発掘に関わる経理事務をしていました。所長さんの住まいが坂北の赤松地区にあったので、私はたびたび遊びに来ていたんです。エネルギーとしての石炭産業に陰りが見え始めたころ、父は久保村林業を起業。そのとき、坂北の末地地区から、身体が軽く、目端の利く15歳の少年が丁稚奉公に来ました。のちに父が養子として迎え、私の兄となった久保村石油2代目社長です。当時は、伐採した材木などを坂北駅から貨物列車で高崎方面へ運んでいました。
その後、林業は衰退。父の病気もあり、母は「これからは石油の時代が来る」と、ガソリンスタンドの開業を考えたんです。母の兄弟が運送業をしていて、出光興産の油を運んでいる縁故で計画が進みました。 当時、国道19号線は車の往来が多く、松電(松本電気鉄道。現・アルピコ交通)の稼ぎ頭である、飯田から長野まで、長野県を横断する急行・特急バスも走っていました。そんな19号線でしたが、母は「鉄道のあるところがよい」とこの地、坂北を選択。ガソリンスタンドがオープンしたのは私が19歳のときでしたから、“ちくほくのひと”といっても、まだ50年なんですよ。

当時は坂北から生坂の山清路という名勝へバスが通っていて、坂北までバスで来て電車に乗って松本へ行ったりしていたので馴染みはありました。生坂村よりは小売店がたくさんあって栄えていましたが、同級生もいないし、知らないところに来るという不安感はありましたね。
短大に通うため、東京に住んでいた時期もあります。市ヶ谷に住んでいたのですが、『三島事件』と言われる三島由紀夫の割腹自殺があった場所が近くなので気味が悪くて……早く帰りたいと思っていました。卒業と同時に戻り、それから2年間は出光興産の松本支店に勤務し、輸送のことからスタンドの業務まで携わりました。
現在のガソリンスタンドは、1970(昭和45)年7月に私の母が始めたものです。この仕事での喜びは、お客さんとの何気ない会話ですね。地域性があるもので、毎日接しているとわかるようになってくるんです。最近の若者からは感じにくいんですが、このあたりには本城・坂北・坂井・麻績と、近くに4つの地域があり、それぞれに違った雰囲気が感じられます。なかでも、このあたり(坂北地域)は堅実な人が多いと感じますね。

ここだけのサービスと、これからのガソリンスタンド

嘉輝さん:
大きい組織ではないですが、だからこそできる、ほかにはないサービスを提供すべく、一生懸命やっています。やりがいを感じるのは、やっぱり数字ですね。コロナの影響はあるけれど、ステイホームをチャンスととらえ、時代に合わせてシフトすることが大事だと考えています。家にいる時間が長くなれば、灯油の消費量が増える。その分、定期配送をより安く購入していただけるようにするなど、工夫を考えています。
他店との差別化として、やり方も値段も、すべてがほかと違うことを目指しています。会員価格しか提示していない店が多いですが、現金、プリペイドカード、会員と、すべての価格をきちんと表示しているので、支払いがわかりやすいのがひとつの特徴です。

吉司コさん:
「商売は、儲けがなくては成り立たない。“儲ける”とは、信者がたくさんあること。“儲”という漢字は、“信”+“者”で成り立っている。人を信じ、信じてもらえる人になることだ」というのが、母の商売であり、生き方でした。私も、それを肝に銘じています。昔、上山田温泉が盛んだったころは強面のお客さまも多かったのですが、「対応が遅い!」と言って難癖をつける人に、母は臆することなく、媚びることもなく「順番にいたしますから」と伝えました。のちに、兄貴分の人が「若いもんが迷惑をかけた」とお詫びに来たそうです。誰に対しても、どんなときにも差別をしない母でした。
2代目社長は、15歳のころから変わらない身軽さと実直さで、多くのお客さまに愛されていました。いまだに「はい、すいませーんー」の口癖をまねる人がいるほど。右手を頭の高さに上げて、軽くシャッと振るしぐさは、いまも語り草です。
お客さまを愛し、お客さまに愛された2人の社長のあり方を、私も継承したいと思っています。コロナ禍で苦しい時代です。歴史を振り返り足元を固めるとともに、未来に向けた人との繋がり方を身につけたいと願っています。

今後の目標としては、燃料油以外のサービスの充実を考えています。高齢者が多いなかで、その生活をフォローしてあげられるようなやり方を。それから、非常食の取り扱いもしています。以前『長野県母子寡婦福祉連合会』という名称の福祉会があったころ、私は長野県母子部長と東筑摩郡母子寡婦福祉会会長を兼任していたこともあり、その活動費のための事業として販売している商品もあります。
リピーターも多いんですよ。人気はあごだし。筑北村の大根とすごく合う! 一緒に煮るだけでおいしいんです。あとは麺つゆとカレーうどんが人気ですね。私自身、食に関わるの話をするのは好きなんです(笑)。

※現名称:長野県ひとり親家庭等福祉連合会

家業とプロ修斗選手。どちらも責任と覚悟をもって取り組む

嘉輝さん:
修斗とは、キックボクシング+柔術+レスリング+決め技……総合格闘技です。出会いは学生時代。中学のころからバンドをやっていたんですが、修斗の試合の入場曲として使われていた音楽がかっこよくて。見ているうちに、修斗をやるようになりました。世代ですね、当時はサブカルチャーがメディアでかっこよく取り上げられていましたから。自分のように音楽から修斗を始める人は多かったです。
音楽も修斗も続けながら千葉で働いていたんですが、母が一人になってしまうので筑北村に戻ることにしたのが10年前です。そのタイミングで、記念にと思って試合に出たんですが、そこで負けたことが悔しくてプロを目指しました。
北信越地区予選では2013年に優勝、翌年3位、翌々年準優勝という結果を残し全日本への出場権を得ましたが、結果は、3回出場してベスト8止まり。プロライセンスを獲得できませんでした。しかし、実績を評価されてトライアウトマッチに参加し、勝利。修斗はアマチュアで終わる選手が多い競技ですが、7年かけてプロに昇格しました。トライアウトのチャンスは1人1回なので、これがラストチャンスでした。
アマは人から見られることはありません。でもプロは、周りから見られる。チケットを買っていただく。そこが大きな違いですね。家業も修斗も、覚悟をもって取り組んでいます。

修斗をしていると指などの骨折はしょっちゅうですが、2020年2月に参加した試合で眼窩底骨折しました。今回はひどかった。失明するかと思いました。手術をしたんですが、そのあとコロナが始まってしまったので、復帰できるレベルまで回復していても参戦できていない状況です。感染リスクを考えると、まだ長野のジムでのトレーニング、関東での試合は迷うところです。そんな状況でも、トレーニングは続けています。いままでは週6で長野市にある柔術道場『飛翔塾』に通っていましたが、いまは難しいので、週6で50キロは走るようにしています。
プロ修斗選手としては、『久保村ヨシTERU』として活動しています。スポンサーはMobstylesです。YouTubeに動画がアップされていますので、よろしくお願いします!

住めば都の筑北村。何もないのが自慢です!

嘉輝さん:
筑北村に戻ってきて10年になりますが、いまも“故郷”って感覚です。村の自慢? それは何もないことですよ。

吉司コさん:
筑北村は「住めば都」という言葉がぴったりです。筑北村の自慢は、野菜やお米がおいしいこと。送ると喜ばれます。
商売をやっている影響もありますが、いろいろな人とめぐりあい、いろいろなことを教えてもらい、助けてもらいました。困ることがあれば地域の人たちが助けてくれる。ありがたいです。ガソリンスタンドは接客業ですが、ストレスがないんですよ。バブル後の大変な時期を乗り越えてやってこれたのはお客さまのおかげだなと思っています。

現在の営業時間は6時半から20時半。コロナの影響で短縮する前は6時から21時でした。朝早く通勤する人や、農作業前に給油したい人など、早朝の需要も多いです。 4・5月は、コロナの影響が大きかったですね。それからゴールデンウィークやお盆などの大型連休。年末年始も心配です。マスク・手洗いという当たり前のことをしっかりやりつつ、自分自身の体調管理が大切だと思っています。よく食べて、よく寝ること、ですね。


久保村 吉司コさん(69歳)・嘉輝さん(37歳)

出身:長野県東筑摩郡生坂村/筑北村
職業:ガソリンスタンド経営/プロ修斗選手
地域:坂北地域 中村
『道の駅さかきた』から最寄りのガソリンスタンド『久保村石油』を家族で経営している親子。現社長である吉司コさんの母が1970年に創業したもので、去年2020年に50周年を迎えた。息子の嘉輝さんは家業に従事すると同時に、プロ修斗選手としても活動している。

ちくほく・ほくほく体験

母が入院したとき、病院は先代社長に付き添ってもらい、自分は店を回していました。気にしつつもお店があるから……と思っていたのですが、お客さまから「夜だって行かれるよ」と言われてハッとしました。おかげで、先代社長が入院したときは考えることなく、店を閉めてから病院に行き、朝帰ってくるという生活ができました。このような苦言を呈してくださる人が、私の周りには大勢ありました。ありがたいことです。

お気に入りちくほくスポット

季節ごとに好きなところがたくさんあります。道の駅さかきたの紅葉、修那羅山安宮神社、富蔵ダム湖、乱橋宿の石畳、青柳切通し差切峡の奇岩、東山から見るアルプス、碩水寺の石段など。ひとつ挙げるなら富蔵ダム、ですかね。撮る角度によってまったく写真が違うんですよ。ここ(久保村石油のスタンド)もロケーションがいいとお客さまに言っていただけます。季節を自然に感じられるので、ここにいるだけで四季の移り変わりを楽しめるんです。

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