ちくほくのひとVol.31菊地克典さん
智子さん

世界中にここより良い場所はない。ものづくりにも最適な筑北村

玄関を開けると小さなギャラリーが目に入る。木の器や陶器が並んだ棚と窓の外に広がる風景が自然に調和し、ときどき流れていく風が心地よい。創作活動にぴったりの場所だと感じずにはいられない。
「作品を見てもらうスペースが狭かったので、すぐそばの家を購入しました。DIYしながらなので時間がかかると思いますが、練り込みや手びねり体験などのワークショップを開きたいです」と、陶芸作家の智子さん。
「年内にはギャラリー(離れ)で何か始めるのが目標。金継ぎや生木のスプーン作りのワークショップ、木工旋盤体験などを考えています」と、木の器作家の克典さん。

木皿にのせたチーズケーキと陶器のカップに入った紅茶でインタビューがスタートした。ケーキは最近料理にハマっているという克典さんの手づくり。筑北村に来て“捌く”体験もしたという。
「ご近所さんから『鹿獲れたけどいらない?』と言われて。お肉が届くと思ったら、獲れたそのままを毛皮付きで持ってきてくれました(笑)。やり方はYoutubeを見たり、本を読んだり。捌くのは大変。ほぼ1日がかりです」。

木や土から作られる器は、いずれまた自然に戻る。まさに自然と共存している2人の作家は、どのように筑北村にたどり着き、どのように暮らし、どのように創作しているのだろうか。

[ 2023年8月1日更新 ]


世界中にここより良い場所はないと本気で思える

智子さん:
出会いは、県内作家が集まって販売・実演などを行う『松本クラフトピクニック』で隣のブースとなったこと。このとき、玄関に飾っている夫の作品を購入したんです。すごいのを作る人だなあと作品に惹かれました。

克典さん:
クラフト作家同士なので話が合うんですよね。グループ展などを一緒にしていく中で一生懸命さに惹かれました。自分はひとりだとサボりがちなので、やらざるを得ない感じにしてくれる。お互いに作家としてやっていきたい気持ちがあって、必死さが一致していました。

智子さん:
長野県内で移住先を探していました。当時、空き家バンクはなく、探す手段は不動産屋か知人の紹介。『信州田舎暮らし』という不動産屋さんから封書で届く情報を見て、良い物件があれば見に行きました。

克典さん:
初めて筑北村に来たのは初冬で、移住は3月。4年間空き家だった家の庭には枯れ葉が積もっていて、風が吹くとザーッと音を立てており、ずいぶんさみしいところだなあと思いましたが、春になってハナモモのピンクの花が咲き、樹々が芽吹き、良いところだなあと印象が変わりました。

智子さん:
私は静かで暮らしやすそうだなというのが第一印象です。最初に窯を設置した穂高はまわりに住宅が多く、多少なりとも煙や音の出る灯油窯は焚きにくかったのですが、こちらでは心置きなく窯が焚けます。
移住を決めてからは1、2か月で引っ越してきました。荷物を運びこんでから自分たちでリノベしたので費用はほとんどかかっていません。これから移住を考えている人たちには「荷物を運び入れる前にリノベするべき!」と伝えたい(笑)。

克典さん:
最初は納得しておらず、引き続き移住先を探していました。でも、何かこの家に引き留められている感じがあったんですよね。他に行こうとすると「漆を掻いてみないか」と言われたり、坂井の空き家を借りて手を入れようとしたのに手をつけられなかったり。
住むにつれて良さもわかってきました。年2回常時在廊の展示会を開く松本に車で45分程度で通えるのは便利。漆掻きができること、器の材料となる木が手に入りやすいことも大きいです。今は世界中にここより良い場所はないと本気で思っています。

智子さん:
土地の人々とのつながりができたので「ここでいこう!」と思えたのかな。最初は旅人気分だったのが、だんだん土着になり、人々とのつながりが密になってきました。海外や都会では「隣は何をする人ぞ」という感じですが、筑北村ではみんなで助け合って暮らしているところが気に入っています。

大好きな木の器の実用化に最高の仕上げとなる漆

克典さん:
横浜市郊外の新興住宅地で育ちました。高度経済成長期でどんどん住宅が建っている最中でしたが、まだ自然が残っていて、森や田んぼでカブトムシ、ザリガニ、バッタ採りをして遊んでいましたね。父は若い頃、親戚の大工の手伝いをしていたのでDIYが得意で、増築したり物置を造ったりしているのを見てかっこいいなと思っていました。

大学は美術方面に進学。中学高校とロードレーサーに乗っており、自転車専用レーンのある整った街を設計したいという思いから環境デザインを選択しましたが、勉強していく中で向いていないと気づき、大学卒業後は現代美術学校に通った後、アメリカの美術学校へ。
日本へ戻ってからは東京のアパートで暮らしていましたが、音を気にせず思いっきり物が創れる環境に行きたくて田舎移住に憧れていましたね。古本屋で出会った『木の贈りもの』に載っていた、三谷龍二さんの木の器やエルンスト・ガンペールさんの木工旋盤作品などに驚き、感動し、同時に不遜ながらも「自分にもできる」と思いました。

木曽の上松技術専門校に木材工芸科があると知り、入校。木を組み合わせて箱などを作る指物、和式の木工ろくろ、木工旋盤、竹細工、木をくりぬいて箱や器を作る刳りものなどを教わりました。1年間と短いですが内容は濃かったです。頭の中にあるイメージをそのまま作っていくのが好きなので、刳りものに興味を惹かれました。

漆は“木の器”を実用にするために最高な仕上げ方法だと思います。木と漆の器は軽く、手触り・口触りがよく、抗菌作用があるので、手に取って使う食器に最適です。山で木を切って削って、山で採ってきた漆を塗れば完成するという原始性や、ひとつひとつ手作りできるのでその人に合ったサイズやデザインで作れることも魅力です。

材料の木の多くは筑北村のものを使っています。漆は購入するものがメインですが、地域に自生しているものも採ります。自生の漆は強いですね。皮膚についたままにすると皮が1枚溶けたようになってかさぶたになりますよ。

なかなか思い通りにならないからこそはまった陶芸

智子さん:
地方公務員をしていた父の転勤で、子ども時代は阿智村、三義、高遠、諏訪と、南信地域を転々としていました。南アルプスの仙丈ケ岳や高遠城址公園を見ながらの通学路は美しい故郷の情景として心に残っています。人も善良でのんびりしていて、特に高遠が好きです。
小学校3、4年生のころ、粘土工作で象さんを作りました。自分で気に入っていたのですがみんなからも褒められて、子ども心にも作る楽しさを感じました。もしかしたら、これが私の陶芸のルーツかもしれません。
高校時代は美術と英語が好きだったのですが、美術専攻のクラスメイトと比べ自分には才能がないように感じ、大学は外語大学へ。卒業後は学習塾や英会話スクールで、小学生に英語を教えていました。

香港で5年半暮らしていたときに、陶芸に出会いました。始めてから帰国するまでは陶芸三昧の生活。なかなか思い通りに作れなかったことが、はまったきっかけだと思います。
住まいの近くにあった教室に半年ほど通ったあと、別の教室に。そこは日本人の多いクラスで、当時のアシスタントが辞めるということでお声がかかり、アシスタントをするようになりました。教室があるときは日本人生徒さんのお世話をし、空き時間にはろくろをひく毎日。日本人の多くは食器を作っていましたが、他国の人々は発想力が豊かで個性的で、とても楽しいものばかり。自由な考え方、発想力、作り方に刺激を受けました。

帰国後は知人の伝手で益子の窯元を紹介していただき約1年間修業しましたが、最初は作るものに対しての姿勢の違いなどに戸惑いました。陶芸教室では自分の好きなものを作りますが、窯元では商品を作るのですから、違うのは当然のことかもしれません。窯元では仕事全般を手伝い、技術はもちろんですが、伝統や職人気質の姿勢を学びました。「できる、できないじゃなくやるんだ!」という言葉を思い出します。
その後、2000年に穂高に築窯し、2004年に筑北村に移窯。現在に至ります。

関わらないのはもったいない! 身近な人と仲良くなると世界が広がる

克典さん:
筑北村は松本と長野の中間にある、人口4000人ほどの小さな村です。村人の中に、日本の農村の良いところが今も残っている村。素朴さ、素直さ、自然のリズムに合った時間の流れがあります。借りられる農地がたくさんあるので農業を始めたい人にも好適です。
交通量が少ないので気軽にウォーキング・ランニングができるのもいいですね。車はそれぞれに1台必要なので維持費・ガソリン代がかかるのが困るところです。
作品づくりには最高の環境。筑北村で採れる材は目が詰まっていて良いです。自生の漆木からはねっとりと濃い漆が採れます。

智子さん:
筑北村はまだ開発されていない、いわゆる“田舎”がそのまま残っていますが、山奥の村ということではなく、みんな普通の暮らしをしています。松本、上田、長野に通勤している人も多く、平日は仕事、週末は農業という暮らしが一般的です。
ご近所さんたちも素朴でとても温かく暮らしやすい場所で、適当にほっといてもらえる程よい距離感。肩の力を抜いて暮らせます。筑北村に来る前は旅行ばかりしていたのですが、行きたいと思わなくなりました。バードウォッチングや里山ウォーキングなども楽しめますよ。

私は豊かな自然からインスピレーションやヒントをもらっています。野菜作りも好きになったし、それがきっかけで村の人とも仲良くなれました。無農薬なので大したものにはならないですが、畑を眺めているのが息抜きになります。ただ、去年はお米が鹿に食べられて全滅。野菜や蕎麦も被害に遭って。これからは害獣対策をしっかりしなければと考えています。
当初は引き続き移住先を探していたこともあり、4年間は隣組に入らず、「ここでやっていこう」と決めてから入りました。積極的に関わるようになってすごく居心地が良くなったので、関わらないのはもったいないと思います。

克典さん:
近所との付き合いは大事です。身近な人と仲良くなると、暮らしやすいだけでなく、世界が広がる感じがします。
今後の目標としては、仕事をさらに広く自由に創造的に、と思っています。器作りも続けつつ、木彫や絵画なども行いたい。木や森の魅力を活かして、届けたいです。

智子さん:
以前筑北の土を使ったら溶けてしまって形が作れなかったので、使い方を工夫して、土地の土を少し使ったオリジナルの作品を作りたいです。自然の移ろいの写真、器、料理などをまとめた本も作ってみたいですね。

菊地克典さん(60歳)・智子さん(60歳)

出身:神奈川県/阿智村
職業:木の器作家/陶芸作家
地域:坂北地域・別所
筑北村のふるさと納税返礼品にも作品を提供している『工房ととか』の木の器作家と陶芸作家のアーティストご夫婦。国内外を転々としてきたお2人だが「この場所に引き留められているように感じる」といい、筑北村歴早20年。現在は迷い猫だったハーちゃんと暮らす。

ちくほく・ほくほく体験

克典さん:補助金や支援金を申請するときなど間違えてしまうことが多かったのですが、役場で親切に対応してくれて助かるといったことが何度もありました。確定申告も丁寧に対応してもらえます。
智子さん:野菜作りがわからなくて困っているときに畑に来て手取り足取り教えてくれたり、山のように野菜のお裾分けをいただいたり、コロナ前はお茶を飲んでいけとよく誘われて話をして仲良くなったり。ご近所さんの温かさをとても感じます。

お気に入りちくほくスポット

克典さん:森の中が好きですけどおすすめスポットとしては一般的じゃないので。月路のおやき(昔ながらの灰やきでボリュームあり)、ちくほっくるのパン(バターと長野県産小麦使用の食パン)、坂の上のうどん(コシのあるさぬきうどん)、そば処さかいのそば(風味のあるそば)。修那羅山 安宮神社 ・ 修那羅石仏群(本物の猫が案内してくれる)、でしょうか。
智子さん:富倉ダムと、自宅の窓から見えるケヤキの樹です。ダムを通って家に帰るときにちらっと見えるアルプスや、四季の変化、たまに出会う鹿やきつね、野兎などに非日常を感じ、気持ちがリセットされます。
台所から見えるケヤキの樹は「全て」を感じられる存在。春になれば最後に芽吹き、夏の葉は青々と輝き、秋になると真っ先に葉を落とし、冬はじーっと寒さを耐えしのいで春を待つ。毎年変わらず繰り返される営みに、力強さと自然の摂理を感じます。ケヤキの樹を眺めては、心を洗っています。

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