ちくほくのひとVol.12小池浩京さん

古きから伝わるものを守りつつ、
時代の求める慕われる寺・頼れる寺になることが大事

山の麓に『法安寺』と書かれた石柱と、それを守るようにそびえる松の老大木。ここが法安寺の入り口だ。
住職がおっしゃるには、昔、松の木のそばに高さ3尺位の鐘を吊るした鐘楼があったそうだ。戦争中の金属類回収令で鐘を供出してしまい、軽くなった屋根はその後の台風で飛んでいってしまったという。住職が子どものころには土台は残っていたように記憶しているというが、現在は跡形もなく、松の木だけが残っている。
「松くい虫の被害が徐々に近づいてきています。老木なので注射だと木が耐えられないかもしれないと言われ、年に3回の消毒で予防することにしました。古くから伝わる木だからこそ、枯らしたくない。残していきたいので、できることをやるのみです」と、昔の写真を見つめる。

手作りのフリップを使いながらわかりやすく説明してくださったり、趣味の話題で盛り上がったり。親しみやすい住職の姿に、それまで敷居が高いと感じていたお寺に対する考えが、少しずつ和らいでいく。
筑北村の山の麓、小高い場所から地域を見守っているお寺の住職は、この場所でどんな歴史を受け継いできたのだろうか。そして、これからこの場所でどんな未来を作っていくのだろうか。

[ 2018年5月28日更新 ]


400年以上にわたり、安坂地域とともにある法安寺

法安寺は、麻績村にある法善寺の末寺です。檀家はなく、法安寺から上田に向かうあたりにある安坂(あざか)地域の約200件程度が信徒です。末寺なので葬儀の際には法善寺から導師が来て、私は脇導師などを担当します。
本寺である法善寺が1492年、1世の賢甫宗俊大和尚から始まり、8世の伝室光門大和尚が法安寺を開山したといわれています。400年以上前です。その後、誰もいない時期などもありましたが、26世となる心相海印大和尚が再び開山。法安寺の1世はこの方といわれており、1世、4世、6世、8世、11世は法善寺の僧侶です。父である大用徳仁大和尚が10世、私が12世にあたります。詳しい話はフリップで説明しますので、寺に聞きに来てください。

先頃、法安寺の耐震工事を行いました。もし地震などでここが壊れたとすれば、片付けだけでも4~500万かかる時代。その上、地震となればほかにも被害が出ているなかで、檀家のない寺の再建は絶対にできないと思ったのです。とにかく壊れない建物にしておくことが先決だと。
建物が築何年かはわかりませんが、150年以上は経っているかと思います。今回、耐震工事で床下などを見てみたら、粗末な、あり合わせの材料で作ったような状態でした。屋根裏からは「昭和40年に屋根を麦藁から瓦にした」と書かれた棟札が出てきましたよ。

釈迦が悟った真理に「縁起(えんぎ)」があります。「この世ではいかなるものも孤立に存在することはできず、相互に依存しあっている」、みんな関係しあっているということです。法安寺の改修工事においては、人にも天気にも恵まれ、つながりを実感しましたね。

冠着山を望むロケーション。誰でも入れる永代供養墓・個人契約墓

時代の流れの中で「家のお墓を代々守っていく」という意識も変化し、さまざまな埋葬の形が出てきています。法安寺にも「後継者がいない」、「孫・ひ孫の代になってもお墓を守ってもらえるだろうか」といった不安や、「今のお墓を終い、お参りしやすい場所に移したい」、「永代供養してもらいたい」といった声が届くようになり、合葬墓を建立しました。簡単にいうと、誰でも入れて、ずっと面倒を見てもらえる墓です。永代供養墓(えいたいくようぼ)と言い、墓地の管理や清掃、お盆・お彼岸の供養は法安寺と護持会総代によって守られます。

法安寺では、永代供養墓の横に期間契約できる個人契約墓を用意しました。可能なかぎり自分たちでお世話をして、そのあとは永代供養墓へ移動するというものです。10区画用意しましたが、募集を始めて1年足らずで埋まってしまうほどで、さらなる増設を考えています。
法安寺の永代供養墓は、麻績インターから車で5分、駐車場からは歩いて2分ですし、四季折々の冠着山(姨捨山)を正面に望む絶景ロケーションという好立地。また、宗派・檀家も問わないため、誰もが気兼ねなくご利用いただけます。ご予約していきますか?(笑)

住職とJA職員で休みのない日々から、糊口を凌ぎ清貧な生活の中で自己充電中

父は福島県や大町、松本などのお寺でつとめたのち、紹介があって筑北村へ来たと聞いています。私は東京の大学へ行って、卒業したら修行して住職になるつもりでした。しかし父は、大学在学中、49歳の若さで亡くなりました。
自分はまだ修行していない身でしたので、すぐに住職になることはできません。大学を卒業した昭和58年に、本山である永平寺で1年間修行してから筑北村へ戻りました。私が戻るまでの間は、麻績の法善寺から来ていた住職がいましたので、父が10世、私は12世となるわけです。

昭和60年3月に就職し、JAで金融・共済業務を担当していました。サラリーマンと住職という二足の草鞋を履いていた時代はほぼ休みがない状態でした。
2年前にJAを早期退職し、住職に専念しました。退職後はジムにも通っているんですが、肩こりがとれて身体が楽になりましたよ。筑北村は交通の便が良いので、松本まで通うことも苦になりません。筑北村はのどかで良いところですが、外に出ることで刺激になりますし、身体も調子も良いので続けています。
いまは、筑北村に入ってくる人よりも、出て行く人の方が多くなってしまいました。住民が外に出て行かないように、村で高速代を負担してくれたらすごくにぎわうと思うんですけどね。

ソフト面を整えて、孤独な人が気軽に立ち寄れる場所にしていきたい

昨今は直葬を希望する人が増えてきました。0(ゼロ)葬という言葉も誕生したほどです。

* 直葬…儀式を省き、火葬のみを行う葬儀形式。
* 0(ゼロ)葬…宗教学者の島田裕巳氏が提唱している、火葬後の遺骨を引き取らない方法。墓の重荷から完全に解放されるとしている。

お寺離れ・葬式離れが進んでいる……そういうご時世において求められるのは、慕われる寺でしょう。頼れる寺になることが大事だと思っています。

その中で地域のつながりを作る活動も担っています。法安寺でお月見をし、朗読会や村のお祭り等で撮影したビデオの鑑賞会など、イベントを行いました。孤独死が度々ニュースになります。一人暮らし、引きこもり等々様々な問題が山積していますが、法安寺を、そういう人たちも立ち寄れるような場所にしていきたいと考えています。 耐震工事でハード面が整ったので、今後はソフト面を整えていきたいですね。具体的には未定ですが、ビデオの撮影・編集が趣味で、音響設備もありますので、そういったものもイベントなどで活用できたら良いですね。

小池浩京(57歳)

出身:筑北村 職業:僧侶 地域:坂井地区
地元の農業協同組合(JA)に勤めながら、筑北村坂井地域にある法安寺の住職をつとめていたが、2年前、55歳でJAを早期退職し、現在は住職に専念。お月見などのイベント時は法安寺を開放し、地域の方々が集まる場所となっている。

お気に入りちくほくスポット

東山から見るアルプスですね。それからまだ行ったことはありませんが、冠着山から富士山が見えるらしいです。冬の澄んだ時期は特に見えやすいとか。いつか行ってみたいと思っています。

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