ちくほくのひとVol.30前山武雄さん

地域おこしも地産地消。地元の人が地元で力を発揮することが大切

今回お話を伺う前山さんは、筑北村で生まれ、働き、多数の地域活動に関わっている人だそうだ。伺った工場跡地にはさまざまなオーディオ機器に囲まれた“大人の遊び場”といった趣の部屋が併設されており、小学2年生から始めたというハーモニカで1曲披露してくださった。
「昔からオーディオ機器に興味がありました。古い機材が並んでいますが、動くよう整備してあります。NHKのど自慢大会に挑戦したときは、予選会のおもしろさが病みつきになりましたね。曲のタイトルの五十音順で歌う順番が決まるのですが、『夕焼け雲』を選んだので250人中227番目。本番の時点では疲れ果てた感がありました」と笑う。

「生まれ育った場所を自分自身が好きにならなければ発展していかないと思っています。商工会の青年部長時代、本城村の夏祭り実行委員長をやりました。自分が本気になって、声をあげていく。本城村が最期になるまで続け、筑北村になった後も手を挙げましたが、これからは若い人に引き継いで後押しする立ち位置でいいのかなと」
筑北村で生まれ育っただけでなく、筑北村を愛し、筑北村とともに生きている人という印象を受けた。そんな前山さんの目に映る筑北村は、どんな場所なのだろうか。

[ 2023年5月31日更新 ]


活気に満ち溢れていた昔、高齢化の進んだ今

私が子どものころ、旧本城村はどこも三世帯で暮らしていました。隣近所で行き来が頻繁で、大人たちのお茶っこでにぎやか。子どもたちの間では三角ベース(簡易野球の一種)が流行っていました。畑に入ったボールを取りに行って作物を荒らして叱られて……今思うと良い時代でした。小学校高学年のころ村内に新しい鋳物工場が建つと、八木地区で農家をしていたおじさんたちはみんなそこに勤めました。
私が社会に出るころには工場が多くなり、夕方になると仕事帰りに各々の作業服でお店に立ち寄り、買い物をするおばちゃんたち。活気に満ちていましたね。
私はS44年に村内の電子部品製造会社に就職。4年目に富山の関連会社に出向し、半年で工場長になりました。廃校となった中学校の体育館を半分ほど使って工場の規模を拡大した経験は、仕事に対する意欲向上につながりましたね。1年半ほどで西条工場に戻り、工場長に就任。当時はまだ工場が多く存在していて活気が感じられました。
S62年秋の工場閉鎖後、塗装業のアルバイトをしていたときに仕事を紹介され、個人創業の八木電子工場として再開。最大で14名ほどの従業員で、ヘルスメーターやオーブントースター、カーオーディオの組立などを請け負いました。扱う部品の細かさ、点数の多さに戸惑い、品質管理の厳しさを実感しましたね。H15年ごろから、製造業の多くが中国に流れ出したことで受注量が減少し、雇用中止に至りました。

高齢化が進んだ現在は、商店主は店を閉め、核家族化が進み両親だけが村に残っているという状況が深刻です。工場や商店と呼べるものも1つ2つ残っているのみ。駅前も姿が変わってしまい、さみしいです。

デイサービスを民家で提供する通所介護施設『茶の間』をスタート

雇用中止後、内職的に工場を続けながら改めて仕事を探しているときに、民家を利用したデイサービスを提供したいという志を持った仲間に出会いました。社会福祉協議会の職員として関わる中で「もっと細かなケアがしたい」という思いで飛び出した人たちで、私は経営の経験を活かそうと参加。H16年8月に7名でNPO法人を設立しました。

通所介護施設とは、自宅・施設間の送迎、入浴、昼食などのサービスを含むデイサービスのこと。『茶の間』は民家改修型施設で、介護保険法により定員12名/日の通所介護サービスを行っています。小規模ならではのやり方が利用者本人やご家族に好評です。料理の匂いを感じられるよう見える位置で食事作りをしており、「食事がおいしい」と喜ばれています。前職でのつながりがあることも多く「前山さんがいるところだから」と利用を決めていただけることもありうれしいです。

立ち上げからもうすぐ20年。今は親と同居している人も少なくなり、介護の在り方も変わってきています。世代による考え方の違いもあります。また、職員の高齢化が進んでおり、存続の危機さえ感じています。各種制度は見直し・改定されていくものの大きい組織が基準となっているので、介護保険頼りでは小規模施設は厳しい経営環境の連続で大変ですが、若手に引き続き頑張ってもらいたいですね。
常日ごろ「資格より性格」と話しています。介護資格などなくても、自分の親はちゃんとみれる。ひとりひとりに気持ちでぶつからないとだめなんです。居場所として、癒やしの場所として、地域にとってなくてはならない施設でありたいですね。

村のために、未来のために、残していきたいもの

本城地域の文化を少しでも残すために活動する地域おこし団体『でんでん』、男性の独身者が多い村に若者を呼び込みたい『結婚推進委員連絡協議会』、音楽好きの仲間づくり『NEW JENTERS』など、さまざまな活動に関わってきました。音楽機器が好きでレコードプレーヤーやアンプなどに興味があり、収集もずっと続けており、工場跡地でのミュージックサロンは、『茶の間』の介護予防啓発事業の活動などに役立っています。

また、父から受け継いだ獅子舞を37年続けています。子どものころから毎年父の舞う姿を見てきましたし、細かな所作を自宅でいつでも教えてもらえたことは有利だったと思います。形を表現する難しさにはやりがいを感じました。
息子に教えていた時期もありましたが、忙しくてなかなか時間が取れず。今は18歳の孫に話していますが、具体的に進んでいるわけではありません。DVDなどで保存はしていますが、すべての所作に意味があるものなので、動きを真似するだけではだめなんです。今なら教えられる。親子2代、約50年続けてきた活動なので、ぜひ残していきたいですね。

人も“地産地消”が大切。筑北村を守ってほしい

筑北村は、松本市の北隣に位置し、長野・上田・千曲・安曇野の各市街地にも近く、20~50分で行くことができます。JR篠ノ井線をはじめ、長野道、国道403号と交通の便は近隣町村に負けない、静かな町です。現在はスマートICの工事中で、まもなく供用開始となります。
季節ごとの山菜採りも魅力。ワラビ、タラノメ、コゴミなどの時季には他市町村から訪れる人も多いです。以前はマツタケも有名でした。季節感があり、住み良いところですよ。
静かな山間の村ならではの人々が温かいので、どの地域へ行っても優しさ溢れる人たちに出会います。また、グループ活動が盛んなことも特徴のひとつです。

私は9年にわたる商工会会長の経験から「人が先か、働く場所が先か」ということを考えてしまうのですが、今の筑北村には働く場所が少ないです。地産地消というか、地元の人が地元で力を発揮することが大切だと思います。筑北村への移住者を増やし、人口減少や高齢化率を止めてほしい。また、筑北村の農地や山林を守ってほしいと思います。

前山武雄さん(73歳)

出身:本城地域・八木
職業:通所介護施設『茶の間』理事長
地域:本城地域・八木
筑北村(旧本城村)生まれ・村育ちの、根っからのちくほくのひと。村内の工場に就職したのち、自ら電子工場を創業。その後は通所介護施設『茶の間』の立ち上げに参加し理事長を務める。仕事以外でも多くの村内の団体で活動を続ける、村を愛する人。

ちくほく・ほくほく体験

特にエピソードと言えるものは……すべてがそんなような気もする、という感じですかね。自分からみれば、みんなあったかいですよ。そういう意味では、外から来られた人のほうが感じられることってあるんじゃないかな。むしろどっぷりここに浸かっている私にはわからないから、どう感じているのかこっちが知りたいという感じです。八木地区でも移住者を受け入れていますが、みなさん良い関係を保っていますよね。

お気に入りちくほくスポット

生まれ育った場所である八木が一番好きです。眺望は別格で、四季の彩りだけでなく、晴れた日には北アルプス連峰がなんともきれいに見えます。工場の上から見る景色が特にお気に入りです。

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