ちくほくのひとVol.23北條嘉則さん
美香さん

同じ悩みを持つ人々に安心を届けたい。ママ目線で作るBIKKEのお菓子。

取材に向かったのは2月上旬のこと。暦の上では春の始まりとされる立春を過ぎたものの、まだまだ寒い。この日も長野自動車道で筑北村に向かっていると、麻績トンネルを抜けたあたりから急に雪が激しくなった。しかし、集合場所である西条の筑北村役場は、ほとんど雪がない。取材先である坂井に向かうと、再び雪が増えてくる。ハート型をした筑北村は、東西約14.5キロ、南北約12キロという大きさだが、同じ筑北村でもこんなに違うものかと驚く。
県道から少し入った道を進んでいくと、すれ違いできないような細い道だが多くの建物が連なっていた。たどり着いたのは、少し小高い丘のような、見晴らしの良い場所だ。道路には雪かきをする人の姿。意外と人が多いのかと思いきや、いまは4軒しか住んでいないのだという。

今日お話を伺うのは、筑北村合併後、2番目に婚姻届けを提出したご夫婦だ。事前情報では「見た目も中身もワイルドなご主人と、見た目も中身もかわいらしいすてきな奥さまの、美女と野獣カップル」とのこと。お2人とも、子どものころに筑北村へ引っ越してきたというが、どのように出会い、結婚後の生活拠点としても筑北村を選んだ理由は何だったのか、お話を伺った。

[ 2021年3月31日更新 ]


それぞれ北海道と松本から、子どものころ筑北村へ移住

嘉則さん:
母の実家のある北海道に住んでいたんですが、小学校全学年合わせても子どもが20人程度しかいない場所でした。教育環境を考えたときに、もっと子どものいる場所のほうがいいだろうという両親の考えで、父の実家のある筑北村(当時は坂井村)に引っ越してきたのが10歳のときです。最初は父の家に入って、そのあとは新築の村営住宅に移りました。当時、坂井の小学校には子どもが120人くらいいましたね。
筑北村の最初の印象といえば方言です。「どうするだ」、「どこ行くだ」……言い回しや語尾がきつい印象で「怒られてるのかな?」と感じました。それから、峠が多くて車酔いがつらかったですね。いまはもう大丈夫ですが。
子どものころは、小学校の隣にある安坂川(あざかがわ)に裸足で入って、上ったり下ったり、麻績のヘリポートそばのカケノハシのところで滑り台のように滑って遊んだり。家にいませんでしたね。
自分の子どもたちも同じように外で遊ぶのが一番!とは思いますが、家にいますよね。何でもあるのに。ちょっと複雑です。いまの家に引っ越してからは友達が近くにいないので仕方がないのかもしれません。

美香さん:
私は中学から筑北村で暮らしています。私の通っていた筑北中学は、麻績と坂井の学区になっていたので、麻績村の子ども38人に対し、坂井村の子どもが15人。しかも、2クラスに分かれると、女子はクラスに2~3人。その影響もあったのかもしれませんが、坂井のほうがおとなしい、やさしい人が多いという印象がありますね。私はどちらかというと麻績寄りかもしれないです(笑)。

交流のないご近所さんだった2人。きっかけは村の広報誌!?

美香さん:
初めて会ったのは私が高校3年生のとき。友人とスノーボードを買いに行くときに、友人の兄の同僚だった主人も一緒に行きましたが、会話はナシ。それぞれの父が少年野球のコーチをしていたこともあり、親同士は知り合いでしたし、主人のお母さんに浴衣を着つけてもらったりもしていたんですけどね。
18歳のころ、彼が村の広報誌に毎月載っていたんです。年男とか消防とか村おこし推進委員会とか。それで興味を持って、友人の兄伝いに連絡先を聞きました。
それからは、近所だったのでよくマンガを読みに行きました。1、2か月後には付き合いだして、1年半後には結婚。居心地がよかったんです。自分をよく見せたいと無理をしてうまくいかないこともありましたが、主人とは自然で居られたんです。一緒にいて疲れない。この人とだったら結婚してもいいなと思っていました。

嘉則さん:
ぼくは「かわいいおばあちゃんになれそうな人」をずっと探していたんです。自分がじいちゃんになったときに、かわいいおばあちゃんでいてほしい。それをずっと探していて、見つけました。人生をかけた答え合わせをしている最中です。

結婚後の生活拠点としては、筑北村以外考えませんでした。別の仕事をしていましたが、結婚してからは通勤時間がもったいないと思うようになって、村内に転職しました。村内勤務の良いところは、やっぱり近いこと。いやなところは、ずる休みがバレること(笑)。職場の6割程度は村民ですからね。
村営住宅から現在の家に引っ越したのは8年ほど前です。嫁の祖母が暮らしていた家で、亡くなってから2年ほど経っていたんですが、ふと考えたんです。いままでの生活スタイルを変えず無理なく返済できる金額で住めるんじゃないかと。なおかつ、自分たちのものになる。土間にあこがれていたというのもあります。10年ローンで家賃と同じくらいの返済額となるように考えてリフォームしました。いいですよ、土間。夏は涼しい。外は暑くても、土間に入るとスーッと汗が引いていきます。餅つきとか、何でもできるところもいいです。バイクをいじっていたら邪魔だと怒られましたけどね。

子育ての経験から生まれた、心と身体にやさしいBIKKEのお菓子

美香さん:
息子のアレルギーに気づいたのは生後3か月のときです。母の誕生日で私がケーキを食べた翌日、発疹が出ました。検査をしたのは1歳になったときです。卵、牛乳、乳製品、大豆がダメだとわかりました。外では食べられるものがありません。たまに立ち寄る直売店やイベントなどで卵・乳製品・白砂糖を使っていないお菓子が販売されているとうれしくて、遠くても買いに行っていましたね。当時、知らない人からも「大丈夫?」「かわいそうに……」と声をかけられるほど、発疹で顔が真っ赤だったんです。それが嫌で、出かけられませんでした。
出産後に私自身病気を患ったことも、病気そのものについて考えるきっかけになりました。人の身体は食べたものでできているんだということを改めて学びましたね。薬は使いたくなかったので、食事で体質改善することから始めました。アレルギー反応の出るものを食べないことはもちろんですが、白砂糖や化学調味料を避けるようにしました。給食は食べられないので、息子は保育園のときから中学生になった今もずっと、私の作ったお弁当を持参しています。私はもともと料理好きですし、結婚前は病院で食事を作る仕事をしていたのでアレルギー食への知識もありましたが、それでも苦労しました。

BIKKEで販売しているようなお菓子を作り始めたのは、息子の友達の影響が大きかったです。幼いころはおやつにゼリーを作っていましたが、2、3歳になると、友達が家に来たときが困ると感じ始めました。卵・牛乳を使わないケーキには豆乳ホイップが使われていることが多いんですが、息子は大豆もNG。それで、自分で作るようになりました。息子に、友達と同じおやつを食べさせてあげたいと思ったからです。子どもは素直で、おいしくなければ「マズイ!」と言います。息子も食べられて、友達にもおいしいと食べてもらえる、そんなお菓子を作りたいという思いで始めました。

自宅に工房を作ったのは2年ほど前です。道の駅などでそういうお菓子が売っているのを見て、求めている人がけっこういるんだろうなと感じていました。もともとは息子のために始めましたお菓子作りでしたが、次は同じ思いでいる人たちの役に立ちたいと思ったんです。
初めてイベント出店するときに、屋号をBIKKEと名付けました。小さいころ『小さなバイキング ビッケ』に似ていると母親と言われたことを思い出して、そのビッケとお菓子を焼くBAKEを掛け合わせた名前です。
BIKKEのお菓子は、卵や乳製品を使わず、身体にやさしい、でもみんな一緒においしく食べられるお菓子です。材料にはこだわっています。乳製品を使っていなくても乳由来の乳化剤が入っていることもあるので、そういうものは使いません。息子はすぐに反応が出るので、息子が食べて大丈夫だったものを販売しています。
同じようなお悩みを抱えるママ目線で、安心して子どもに食べさせられるお菓子を作りたいんです。販売されているアレルギー用やヴィーガンスイーツは、甘すぎたり、量が多すぎたりします。私たちのように、そんなに甘くなくていい、ちょっとでいいという人もいるはずだから、そういう人にフォーカスしたくて。売れるお菓子やおいしいだけのお菓子ではなく、安心を届けたいです。
現在は、麻績村にある『コミュニティ喫茶 むろの木』、長和町にあるカフェ『anitya(あにとや)』にクッキーを卸しています。あとは、友人伝いで注文をいただいたり、イベントに出店したり。対面で販売したいんです。いまはBIKKEとバイトを掛け持ちしていますが、口コミで広がってくれるといいなと思っています。

嘉則さん:
嫁の活動はとっても応援しています。いまは子どもが小さいのでお金がかかりますが、いずれ少し楽になったときに何かしら関われたら楽しいのかな。BIKKEが軌道に乗ったら仕事を辞めて手伝いたいですね。今しているのは味見くらいですが(笑)。

ずっと筑北村にいるから、これが当たり前の暮らし方

嘉則さん:
筑北村は、近いけど遠い。便利だけど不便です。でも、ずっとこの環境で暮らしてきたので、特に何も感じていません。長野や松本で生活したこともあります。コンビニもあって、自転車ですべてが足りる生活はすばらしいなと思いましたが、車があれば今の生活も問題はありません。

美香さん:
ほかの人と比べると不便な生活しているんだなと思うことはあります。「コンビニないんだ?」と言われると不便なのかなと思う、という程度です。最近困ったのは、ガソリンスタンドが7時でしまっちゃったのに灯油がなくなったときですね。

嘉則さん:
昔ほどではないかもしれませんが、「近所の子も自分の家の子」という感じで接してくれる、あたたかい人たちがいっぱいいるのかなと思います。
体育施設を気軽に借りられるところもいいですよ。村民は無料で借りられるので、コロナ前はバドミントンやフットサルなどを楽しんでいました。

美香さん:
困ったときに子どもを見てくれる人がまわりにいるのはすごくいいなと思います。
学年の隔たりなく仲がいいのもいいですね。弟がいるんですが、私が中学3年、弟が1年のときの3学年で、大人になってからクラスマッチをしたこともあります。20人くらい集まりましたよ。友達家族で借りて大会をしたこともあります。

嘉則さん:
学年の隔たりがなく、中学生も小学生もなく遊ぶ子どもたちの姿を見るとほっこりしますね。
伝えておきたいこと? こんな外見ですけど、根は真面目なほうなんです(笑)。


北條嘉則さん(41歳)・美香さん(36歳)

出身:北海道/松本市
職業:自動車部品会社勤務/菓子製造販売
地域:坂井地域新倉
筑北村合併後、2番目に婚姻届けを提出した夫婦。お2人とも、子どものころに筑北村へ来て、そのまま筑北村で新しい家族との暮らしを続けている。美香さんは長男のアレルギーの経験から、同じような苦労をしている人に向けて、安心して食べられるお菓子の製造販売をスタート。

ちくほく・ほくほく体験

美香さん:参観日なのに車のエンジンがかからなくなってしまったとき、直しに来てもらったことがあります。妹も、電車に乗らなきゃいけないのにエンジンがかからなくて、近所の人に駅まで乗せていってもらったそうです。野菜がないけど買いに行くまででもないようなときに「ある?」と聞ける、家族でなくても気軽に頼れる関係性がありがたいですね。

お気に入りちくほくスポット

嘉則さん:特に名前もないし、北アルプスも見えませんけど、家の前の道を上ったところから見える景色が好きです。
美香さん:安坂川のホタルは高校生のときから見に行っています。6月末から7月頃が見ごろですよ。

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