独り暮らしの祖母のもとへ。筑北村の元祖孫ターン夫婦が愛犬と暮らす、築200年越えの古民家
「なつっこいワンちゃんがいる」とは聞いていたが、予想以上に人見知りをせず、誰にでも寄って来る愛想のよいワンちゃんがお出迎えしてくれた。初対面の人が名前を呼んでもそばに来てくれる賢い犬だ。
「Jと言います。小諸の動物愛護センターから引き取ったんです。前の犬もそこから引き取って飼っていましたが亡くなって。3年たって、やっぱりさみしくなってJを引き取ることにしました」と、オーバーオール姿の奥さま。そういえば「奥さまはいつもオーバーオールを着ている」とも聞いていた。「ポケットが多くて、作業するときに都合がいいから好きなんです。自分でも作りますよ。シーツやカーテン生地などを使って作ることもあります。10着程度はあるかな」と話しながら、とても明るく優しい笑顔でケーキを運んで来る。「ズッキーニをスポンジ生地に混ぜたの。どうぞお食べください」。
田んぼに植えられたばかりの若い苗のような鮮やかなグリーンのロールケーキが、築200年を超える趣深い古民家のテーブルに置かれ、インタビューが始まった。元祖孫ターンといわれる田中さんご夫婦は、筑北村で、そしてこの古民家でどのように暮らし、どんな歴史を紡いできたのだろうか。
[ 2019年9月2日更新 ]
彼女の祖母が暮らす筑北村へ遊びに来た、大学時代の夏休み
一明さん:
2人とも福井の出身で、高校の先輩・後輩です。大学に通っているとき、筑北村で独り暮らしをしているおばあちゃんの家に遊びに行くという彼女に同行したのが45年前、初めての筑北村でした。印象はとてもよかったです。築170年という茅葺屋根の大きな家に驚き、真夏なのに何とも言えないさわやかな涼しさの聖湖に感動しました。福井のジトっとした暑さしか知らなかった自分にはとても新鮮でしたね。この縁で彼女との付き合いが深まり、両家の猛反対にもめげず学生結婚。その後は親も認めてくれ、卒業後は福井に戻って就職しました。
3年後、当時、月1回のペースで福井から祖母の様子を見に来ていた義父から「長野の家を継いでくれ」と懇願されました。私は長男で、妻は一人娘。ずいぶん悩みましたが、両親とも相談し、移住を決断しました。私には弟もいたので。今なら単なる同居という方法もありますが、昔だったので夫婦養子になり、2歳の長男と6か月の長女を連れて筑北村に移住しました。運よく大手メーカー系列の会社に就職することができ、単身赴任もしたし、全国を飛び回っていたので、家と畑のことは妻にまかせっきりのサラリーマン生活でしたね。
泰子さん:
3番目の子は筑北村に来てから生まれたので、おばあちゃんがよく世話をしてくれました。私たちが来たことを喜んでくれていたと思います。
私は自分が鍵っ子だったので、いつも家にいておやつを作ってくれる、そんなお母さんになりたかったんです。だから、子育てが一段落して少し勤めた時期もありますが、基本は専業主婦。自分たちの分をつくる程度でしたが、主人の定年後に農業を始める前から畑仕事はしていました。
定年後に始めたズッキーニ栽培。毎日食べるから工夫を凝らして
泰子さん:
農協で開催された説明会に参加し、試しにズッキーニを栽培してみたら意外とおもしろかったんです。隠れるように実が育つので、それを見つけて収穫するのが楽しくて。それで「1反歩やる」と言いました。支援金をいただいたので3年は継続しなければならず…今年で5年目です。以前は買い物かごで収穫できていたのに、今は重くてカートを使います。小規模ならよかったのですが、楽しさ通り越して苦しいです(笑)。
一明さん:
長男が村内に住んでいるので、休みの日には孫も一緒に手伝ってもらい助かっています。ズッキーニの収穫は9月中旬くらいまで。サイズや形のよいものしか出荷できないので、この時期はズッキーニが食卓に出ない日はないですね。
泰子さん:
自然と工夫するようになりますよね。ズッキーニは低カロリーなので、細長く切って麺に見立てればヘルシーな1品ですし、ピザ生地代わりにして焼いたり、ロールケーキの生地に練りこんだり。おすすめはズッキーニの揚げ餃子です。みじん切りにしたズッキーニと豚バラの挽き肉を炒めて塩・こしょうと顆粒中華だしで味付けし、餃子の皮で包んで揚げます。おいしいのでぜひ試してみてください。
一明さん:
朝4時半に収穫し、10時までに仕分け・梱包をして集荷センターに持って行きます。そのあとは草刈りや手入れをし、日中の暑い時期はお休みして夕方16時から再び収穫。ズッキーニの成長は早くて、朝はだめでも夕方には収穫サイズになることもあるので1日2回です。
泰子さん:
愛犬の散歩も欠かしません。作業中は軽トラの荷台で待っていてくれます。JAに出荷しているのはズッキーニのみですが、自家用としてはトマトやメロン、お米なども育てています。犬にとっても筑北村の環境は最高でしょうね。ハウスの中で遊んだり、自分できゅうりやトマト、割れたメロンをとって食べたりしているんだから。
ご縁がつながるほっとステイ。“手間”でもてなすのが田中流
一明さん:
農村体験『ほっとステイ』のホストを始めたのは、娘が学生の頃、オーストラリアからのホームステイを受け入れた経験があるから。去年、彼女が25年ぶりに突然やって来てくれたんですよ。仕事で東京に来たオフの日に。彼女とは、最初の2、3年は年賀状のやり取りをしていたものの、疎遠になっていました。ピンポーンと鳴って、玄関を開けてびっくり。「もしかしてレイチェル?」と聞いたら、そうだと。電車通学していたので、駅までの道を覚えていたんでしょうね。
一度ステイしたらうちの子です。こちらから無理に連絡することはないけど、遊びに来たらいつでも受け入れます。古民家なので外国の人にも喜ばれますね。
泰子さん:
ほっとステイでは農場体験のほかに、蔓(つる)を使ってかごを作ったりしてもらっています。つる細工は喜ばれますね。
もともと、モノづくりが好きなんです。筑北村にはケーキ屋さんがないから自分で作る。米粉を作ってお菓子を作る。自家製小麦粉でパンを焼く。最高のぜいたくですよね。遠方から来るお客さまには、手作りのものを出すようにしています。田舎で手に入るものは都会のものにはかなわない。だから手間を食べていただくんです。
料理以外にも、着物をリフォームして服を作ったり、尺八を作ったり、猫つぐらを作ったり。基本は教室やサークルで習いました。筑北村にはやりたいことを教われる環境※1があるのでありがたいです。設備も整っていて手軽な金額で使えますし、長い順番待ちもありません。
※1 筑北村はスポーツやアート、趣味などを楽しめるサークル活動が盛ん。文化系(陶芸や油絵など)、スポーツ系(野球やマレットゴルフなど)、合わせて40団体以上のサークルが存在する。
冷蔵庫は凍らせないためのもの!? 卵が凍る古民家の冬
一明さん:
引っ越してきたのは2月で、台所に出しておいた卵が凍って割れるという寒さには驚き、すぐにリフォームして天井や子供部屋を作りました。立て直しも考えましたが大工さんが「もったいない」と。すでに築210年を超えていますが、昔の家は精度が高いです。今はリフォームしたところから壊れてきます。当時はよくわからずにリフォームしてしまいましたが、今ならもっと上手にリフォームしたのにと思います。屋根も張り替えてしまいましたが、また茅葺にしたいくらい(笑)。
筑北村は自然豊かです。四季がはっきりしているので、季節を感じられます。また、住むのによいところです。朝、車で上田に行き、新幹線で東京へ行けば朝礼に間に合います。1日で北関東を回っていました。松本・長野・上田・大町も1時間圏内で、JRも高速道路もあります。交通の便がよいので物流倉庫にも向いていると思います。
泰子さん:
筑北村のような田舎は、消防団、若連、若妻会など、共同作業も多いです。それがよいコミュニケーションとも言えるし、面倒くさいと感じることもありました。でも、あの頃を知っていると、今はさみしいくらいです。当時は必ず入らなければいけなかった消防団も、今はそうではなくなっている。村外に仕事に出るようになると、帰ってくるのは夜遅く。お祭りなどの行事も廃れていきます。日本人は忙しくなりました。時代でしょうね。
生活し始めると買い物が不便だったので、すぐに運転免許を取りました。今後、返納したら…という心配は少しありますね。電動車いすや自動運転など、老化を補ってくれるものが進歩しているだろうと、未来に期待です。