ちくほくのひとVol.27宮坂裕さん

今も都会の生活に憧れるけれど、自分に合っている筑北村で暮らそうと思う。

国道403号線沿いにある『村のパン屋さん ちくほっくる』の扉を開けると、香ばしいパンの匂いが、マスクをしている鼻にもしっかりと飛び込んできた。本日は村唯一のパン屋で働く女性のインタビューだ。「子どものころは、山で基地を作ったり、川で魚を捕ったり、自転車に乗ったり。アクティブに過ごしていました。坂井のもんじゅ山、安坂川。筑北の自然が遊び場でした。夏、水のきれいな川に入るのは楽しいですよ。今でも、友だちと川に入ることがあります」。優しそうな人柄とは別の、アクティブな一面が垣間見える。
「筑北村を出たいと思ったことはあります。正直、今でも思います。都会のキラキラした街で、電車に乗ってオフィスに通う生活に憧れました。そうしなかったのは、金銭的な理由が一番ですが、友だちと離れてしまうのはつらいと思いましたし、夜の星空やきれいな自然を見て、自分には田舎が合っていると思ったからです。よほどの理由がないかぎり、ここで暮らそうと思います」
今も都会への憧れは抱きつつも、パンづくりや仕事について生き生きとした表情で語る宮坂さん。20代の女性から見た筑北村はどんな場所なのだろうか。等身大の言葉をお聞きした。

[ 2022年5月23日更新 ]


2つの側面を持つ、筑北村唯一のパン屋さん『ちくほっくる』

店名の由来は「ちくほくの谷で、ほっとできて、みんなが集まってくる場所」。長野県産小麦を100%使用したパンを、毎日20種類ほど焼いています。特徴は、石臼製粉機による自家製粉。また、アスパラ、レタス、雑穀、りんごなど、地元農家さんから食材を仕入れ、季節感のある商品づくりに努めています。
店内にある石臼製粉機では『ゆめちから』という小麦を粒子のサイズ別に4種類に製粉し、パンに合わせて使い分けています。長野県産の小麦粉『華梓』に自家製粉した粉をブレンドしてパンを作ることで、小麦の風味や香りがよりしっかりと感じられ、食べたときに広がります。私のイチオシパンはクロワッサンですね。
コロナが収まれば、期間限定ランチやみんなが楽しめるイベントを企画したいです。また、「ちくほっくるといえばこのパン!」というものを作りたい。ここでしか買えないこだわりの商品を検討中で、今はデニッシュ食パンを試作しています。いろいろなパンを考えていますが、来年度中には販売したいです。

ちくほっくるはパン屋ですが、就労継続支援B型事業を取り扱う障害者自立支援センターでもあります。障害のある人が一般企業への就職が不安・困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練を行える施設として、利用者1人1人に合わせたサポートを行っています。副センター長である私は、パン製造業務よりも支援業務のほうが多いですね。ちくほっくるで経験を積んで卒業し、一般企業で仕事ができるようになった利用者さんがあいさつに来てくれると本当にうれしく、やりがいを感じます。

生まれ育った村で人の役に立てるから、筑北村で就職

製菓学校への進学を決めたのは、オープンキャンパスで作った苺のデコレーションケーキがきっかけでした。私もクオリティの高いケーキが作れるようになりたいと思いました。学校で理論は学んだものの、実際に就職してパンづくりにかかわってみて、安定した製品を作ることは難しいと実感しました。先生は丁寧に教えてくださったので、学生時代にわからないことはもっと積極的に質問すればよかったと思っています。

卒業後は須坂に就職が決まっていましたが、当時の施設長に声をかけていただき、ちくほっくるに就職しました。春休みの校外実習があったのですが、実習先としてちくほっくるを選び、実習後もバイトをしていたんです。
就職を決めた理由はいろいろあります。通勤時間が短く自宅から通えること、10年間修行したパン職人がいること、焼き立てパンの良い香りにそそられたこと。一番は、生まれ育った村で、技術を活かし、人の役に立つ仕事がしたいと思ったからです。
内定をいただいた店には3月から手伝いに行っていたのですが、そこではひたすら卵を割るなどの下積み業務だったのに対し、ちくほっくるでは、自分で商品を作ってお店に出せる、というのもありました。自分のアイディアが商品化されたときは売れるかどうか心配で、調理場から売り場をのぞいては売れ行きを確認していましたね。商品が棚からなくなるとうれしいです。

全員が一緒の15年間で培われた、同級生との強い絆

中学校までは筑北村で育ちました。少人数だったので、部活や生徒会など、全員が積極的に取り組んでいましたね。私は部活(バレーボール)が中心でしたが、毎年11月に開催される長野県中学校駅伝競走大会に向けて、夏休みは午前中に部活、午後はプール、夕方は駅伝と、とてもハードな日々でした。大きい学校は駅伝部が参加していたようですが、私たちの学校には駅伝部がありませんでした。選抜メンバーだったので、部活と駅伝の練習が必要だったんです。

高校で初めて村外に進学しました。同学年に知り合いは誰もおらず、1人ポツンと寂しかったです。中学卒業までの15年間は、保育園から全員が一緒に過ごしてきたので心細いと思いました。「出身は?」と聞かれて「筑北中」と答えたとき、「どこそれ、県外?」と言われたことを覚えています。

中学校の同級生の絆は比較的強いと思います。それぞれの場所で過ごしているので全員が集まることはなかなかありませんが、お盆やお正月など、機会があれば同窓会を開いていました。今はコロナの影響で難しいので、連絡の取れる友達と遊んでいます。
県外にいる友達からは刺激を受けますね。都会で暮らしている人は、おしゃれでキラキラしている。それに対して、自分は地味だなと感じます。ちょっと行けば買い物できる環境がうらやましいです。

筑北村の暮らしは、これからどうなっていくのか

筑北村はとにかく冬が寒い! 夏が涼しいわけでもありません。夜は本当に真っ暗なので怖いです。また、住民同士の関わりが強いです。車があるかどうかで「居る・居ない」を判断されたり、電気がついたのを見て電話がかかってきたりというときは、嫌だなと思うこともあります。ご近所づきあいは苦手ではありませんが、都会の生活と比べるとプライベートがないように感じてしまいますね。
良いなと思うのは、麻績インターも近く、長野、上田、松本、どこにでも行きやすいこと。峠か高速道路を使わないと町に出られない場所ですから、運転が苦手な人にはきついかもしれません。
筑北村民は皆さん働き者です。田んぼ、畑はほとんどの人がやっているのではないでしょうか。草ひとつないきれいな畑もたくさんあります。ご近所さんからのお裾分けがあるので、野菜はほぼ買いません。お米は自分たちで作っていますが、仕事しながらの畑仕事は難しいのでありがたいです。

筑北村はきれいな水が流れていて、夏は蛍が飛びます。星も見えます。近くに山、川、田んぼがあって、どこを見渡しても視界に入ります。
坂井保育園の裏にあるほたる公園(筑北村ふれあい交流公園)は、懐かしさからか、今でも立ち寄ってしまいます。小学校のとき、「公園内の用水路を蛍の飛ぶ川にしよう」と、そばを流れる安坂川から草や苔を移植し環境づくりをしました。今でも蛍は出ますよ。当時は芝生などがきれいに整備されていましたが、最近は荒れていて悲しい気持ちになりますね。また、毎年開催されていた「ほたる祭り」がなくなることを知り、自分たちで企画・実行しました。子どもたちが遊びたくなる公園をキープしてほしいです。

高齢化が進み、人が減り、やる人が減り……。この先、筑北村に住み続けられるのか心配です。御柱の準備なども継ぐ人がいない状態、田んぼや畑もどんどん空いていってしまう。昔からの伝統を守りたい、継いでいきたいという思いがある一方、後世に継いでいくための工夫も必要なのではないかという思いもあります。昔のやり方をそのまま押し付けるのではなく若い人たちの意見を聞くなど、みんなで一緒に考えることがこれからの村づくりにつながるのではないでしょうか。

宮坂裕さん(28歳)

出身:坂井地域
職業:『村のパン屋さん ちくほっくる』副センター長
地域:坂井地域
坂井地域で育ち、高校・専門学校は筑北村から通学した根っからの筑北村民。現在も村唯一のパン屋『ちくほっくる』にて副センター長として筑北村で働いている。子どものころ外で遊ぶことが多かったおかげか、体力があり、力には困らないというアクティブな一面も。

ちくほく・ほくほく体験

「おはようございます」のあいさつに対し、「いってらっしゃい」と、家族のような言葉が返ってきます。筑北村では、「まえで *」を通ればみなさん必ずあいさつしますね。
* まえで:長野の方言で、空間的な前を表す言葉。“前”と同義。

お気に入りちくほくスポット

近い距離に3つも温泉施設があるのはうれしいです。たっぷりのお湯につかると気持ちよくリラックスできます。21時まで営業しているのもありがたいです。個人的には『西条温泉とくら』のお湯がすき。脱衣所が温かいのも良いです。『冠着荘』は自宅から近いので、小学校のときから行き慣れている温泉施設です。岩盤浴もあればいいな。

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